タレント・田中義剛さん支援物資、整体師マッサージサービス、市民の復活、善意 について
三沢市塩釜3丁目の長谷川廣喜さん(58)
津波で自宅を失った。市営住宅に移ることになったが、寝具やストーブ、着替えすら手元にない。
農業関係の仕事も失った。穏やかな暮らしが一変、先の見えない状況に追い込まれながらも、「できる限り努力する」。手探りで生活を立て直し始めた。
「全滅だな」。長谷川さんが1人で暮らす木造平屋は、海岸から約300メートルの位置にある。一帯で最も海に近い住宅で、天井近くまで濁流にのまれた。たんすの上でひっくり返る冷蔵庫、土砂にまみれた仏壇、黒ずんだ毛布…。地震から一夜明けた12日、避難先から戻ってみると、室内は無残に変わり果てていた。
近くの親戚宅に身を寄せた長谷川さんに、さらに苦難が待っていた。ようやく電話がつながった勤務先の農業法人から「今年、(働いてもらう)予定はありません」と告げられた。
「1年ごとの雇用契約だから、もしかしたらと思ってたけど。考えることがありすぎて、夜もよく眠れないんだよ」。長谷川さんはうつむいた。
途方に暮れていたころ、かつての同僚と市内のスーパーでばったり会った。仕事を探していることを伝えると、「手伝えることがあれば、遠慮しないで何でも言って」と温かい言葉が返ってきた。体の中から元気が湧いてくる気がした。
地震から9日目の19日。被災者用に市が準備した市営住宅の空き室に移ることが決まった。家賃は全額免除され、最長2年間は住める。「まずは一安心。いくら親戚でも、いつまでも世話になるわけにはいかないから」。長谷川さんは寝具とストーブが手に入り次第、市営住宅で生活を再スタートさせ、職を探して走り回るつもりだ。
「本当は生まれ育った塩釜地区に戻りたい。でも、また津波が襲って来るんじゃないかと思うと怖い。2年後にどうするかは、これからじっくり考える」と長谷川さん。「ひどい目に遭ったからこそ、人との縁が身に染みる。うまくいくか分からないけど、できるだけのことはやってみるよ」
田中義剛さん地元に物資贈る
花畑牧場(北海道)を経営している八戸市出身のタレント・田中義剛さん(53)が20日、東日本大震災の被災地に支援物資を届けようと、八戸市内の避難所などを訪れた。
田中さんは、北海道で11トントラックをチャーター。牧場で製造している生キャラメルを使った自慢のお菓子約7万個やカップラーメン、生活用品などを積んで市内の公民館などを回った。
約50人が避難している同市湊町の湊公民館は、田中さんの来訪で元気づき、温かな雰囲気に。田中さんは「出身地の困っている人に直接物資を届けたかった。困ったことがあったら何でも言ってください」と呼び掛けた。
同館に避難している会社員石ケ森淳一さん(36)は「燃料不足の中、車でここまで持ってきてくれたことはありがたい」と話していた。
整体師 避難所でマッサージ/八戸
東日本大震災の発生から20日で10日目。避難所暮らしを続けている地域住民たちに、体をほぐしてリフレッシュしてもらいたい-と、八戸市の整体師らが同市内の避難所を訪れ、マッサージなどのボランティア活動を行っている。健康状態を心配しての善意の輪が広がり、同市医師会は各避難所を巡回して健康診断を実施。セントラルフィットネスクラブ八戸は、インストラクターを派遣してストレッチ運動の指導を行っている。
約130人が避難している海上自衛隊八戸航空基地体育館では20日午後、2人の整体師が地域住民らにマッサージを行った。ボランティア活動に名乗りを上げたのは、市内で「もんでーるラピア店」を経営する田村信雄さん(61)。
「ガソリン不足もあり、お客さんの方から店に来られない状況が続いている。避難所暮らしの人も疲れが増していると思い、自分から行動を起こさなければと感じた」。田村さんは店を営業する傍ら、弟子の整体師とともに市内の避難所を回っているという。
施術場所は床にマットや毛布を敷いただけの簡素なものだが、住民らはうつぶせになってマッサージをしてもらうなど気持ち良さそうな様子。
木村ツナさん(83)は「地震後、着の身着のままで逃げてきて疲れていた。肩と腰をもんでもらい、だいぶ楽になった」とすっきりした表情。田村さんは「私たちが動いたことで、もっとたくさんの人が自分にできる活動をやり始めてくれれば」と話していた。
本県出身の冨岡総括隊長が心境
東京電力福島第1原発3号機に放水活動を行った東京消防庁ハイパーレスキュー隊。放射性物質の恐怖にさらされる隊員を支えながら、自ら現場に向かい、決死の作業に立ち向かった県人がいる。総括隊長の冨岡豊彦さん(47)=風間浦村出身=だ。21日、本紙の取材に対して「まだ事故が収まっているわけではない。非常に心配している」と心境を語った。
冨岡さんは同村蛇浦中-大間高校-国士舘大出。現在、東京消防庁第6方面隊の消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー隊)総括隊長。今回、現場状況確認の責任者として任務に当たった。
冨岡さんらは18日午後、原発から約20キロ離れた指揮本部に到着した。その後、自ら特殊災害対策車に乗って現場に突入し、風向きや通れる道などを確認。屈折放水塔車による放水を決断した。
しかし、敷地内のがれきに阻まれ、車でホースをつなげることができず、結局、放射線防護服を身に着けた隊員20人が、長さ約800メートルの送水ホースのうち350メートルを手作業で接続した。
屋外での接続作業は約15分間。別の隊員が放射線量を測定する中、被ばく覚悟の任務遂行だった。
危険な任務をくぐり抜けたハイパーレスキュー隊の一部は19日夜に帰郷。都内の東京消防庁内で記者会見に臨んだ冨岡さんは「非常に難しい危険な任務。
国民の期待をある程度達成できて、充実感でほっとしている」と振り返った後、「訓練とは違うが、このメンバーなら何とかクリアできると確信した。一番大変だったのは隊員。残された家族には申し訳ない。この場でおわびとお礼を申し上げたい」とおえつをこらえながら語った。
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代表 山内 巨
TEL017-776-6551
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電子メール アドレス :
ky00110@mx71.tiki.ne.jp
津波で自宅を失った。市営住宅に移ることになったが、寝具やストーブ、着替えすら手元にない。
農業関係の仕事も失った。穏やかな暮らしが一変、先の見えない状況に追い込まれながらも、「できる限り努力する」。手探りで生活を立て直し始めた。
「全滅だな」。長谷川さんが1人で暮らす木造平屋は、海岸から約300メートルの位置にある。一帯で最も海に近い住宅で、天井近くまで濁流にのまれた。たんすの上でひっくり返る冷蔵庫、土砂にまみれた仏壇、黒ずんだ毛布…。地震から一夜明けた12日、避難先から戻ってみると、室内は無残に変わり果てていた。
近くの親戚宅に身を寄せた長谷川さんに、さらに苦難が待っていた。ようやく電話がつながった勤務先の農業法人から「今年、(働いてもらう)予定はありません」と告げられた。
「1年ごとの雇用契約だから、もしかしたらと思ってたけど。考えることがありすぎて、夜もよく眠れないんだよ」。長谷川さんはうつむいた。
途方に暮れていたころ、かつての同僚と市内のスーパーでばったり会った。仕事を探していることを伝えると、「手伝えることがあれば、遠慮しないで何でも言って」と温かい言葉が返ってきた。体の中から元気が湧いてくる気がした。
地震から9日目の19日。被災者用に市が準備した市営住宅の空き室に移ることが決まった。家賃は全額免除され、最長2年間は住める。「まずは一安心。いくら親戚でも、いつまでも世話になるわけにはいかないから」。長谷川さんは寝具とストーブが手に入り次第、市営住宅で生活を再スタートさせ、職を探して走り回るつもりだ。
「本当は生まれ育った塩釜地区に戻りたい。でも、また津波が襲って来るんじゃないかと思うと怖い。2年後にどうするかは、これからじっくり考える」と長谷川さん。「ひどい目に遭ったからこそ、人との縁が身に染みる。うまくいくか分からないけど、できるだけのことはやってみるよ」
田中義剛さん地元に物資贈る
花畑牧場(北海道)を経営している八戸市出身のタレント・田中義剛さん(53)が20日、東日本大震災の被災地に支援物資を届けようと、八戸市内の避難所などを訪れた。
田中さんは、北海道で11トントラックをチャーター。牧場で製造している生キャラメルを使った自慢のお菓子約7万個やカップラーメン、生活用品などを積んで市内の公民館などを回った。
約50人が避難している同市湊町の湊公民館は、田中さんの来訪で元気づき、温かな雰囲気に。田中さんは「出身地の困っている人に直接物資を届けたかった。困ったことがあったら何でも言ってください」と呼び掛けた。
同館に避難している会社員石ケ森淳一さん(36)は「燃料不足の中、車でここまで持ってきてくれたことはありがたい」と話していた。
整体師 避難所でマッサージ/八戸
東日本大震災の発生から20日で10日目。避難所暮らしを続けている地域住民たちに、体をほぐしてリフレッシュしてもらいたい-と、八戸市の整体師らが同市内の避難所を訪れ、マッサージなどのボランティア活動を行っている。健康状態を心配しての善意の輪が広がり、同市医師会は各避難所を巡回して健康診断を実施。セントラルフィットネスクラブ八戸は、インストラクターを派遣してストレッチ運動の指導を行っている。
約130人が避難している海上自衛隊八戸航空基地体育館では20日午後、2人の整体師が地域住民らにマッサージを行った。ボランティア活動に名乗りを上げたのは、市内で「もんでーるラピア店」を経営する田村信雄さん(61)。
「ガソリン不足もあり、お客さんの方から店に来られない状況が続いている。避難所暮らしの人も疲れが増していると思い、自分から行動を起こさなければと感じた」。田村さんは店を営業する傍ら、弟子の整体師とともに市内の避難所を回っているという。
施術場所は床にマットや毛布を敷いただけの簡素なものだが、住民らはうつぶせになってマッサージをしてもらうなど気持ち良さそうな様子。
木村ツナさん(83)は「地震後、着の身着のままで逃げてきて疲れていた。肩と腰をもんでもらい、だいぶ楽になった」とすっきりした表情。田村さんは「私たちが動いたことで、もっとたくさんの人が自分にできる活動をやり始めてくれれば」と話していた。
本県出身の冨岡総括隊長が心境
東京電力福島第1原発3号機に放水活動を行った東京消防庁ハイパーレスキュー隊。放射性物質の恐怖にさらされる隊員を支えながら、自ら現場に向かい、決死の作業に立ち向かった県人がいる。総括隊長の冨岡豊彦さん(47)=風間浦村出身=だ。21日、本紙の取材に対して「まだ事故が収まっているわけではない。非常に心配している」と心境を語った。
冨岡さんは同村蛇浦中-大間高校-国士舘大出。現在、東京消防庁第6方面隊の消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー隊)総括隊長。今回、現場状況確認の責任者として任務に当たった。
冨岡さんらは18日午後、原発から約20キロ離れた指揮本部に到着した。その後、自ら特殊災害対策車に乗って現場に突入し、風向きや通れる道などを確認。屈折放水塔車による放水を決断した。
しかし、敷地内のがれきに阻まれ、車でホースをつなげることができず、結局、放射線防護服を身に着けた隊員20人が、長さ約800メートルの送水ホースのうち350メートルを手作業で接続した。
屋外での接続作業は約15分間。別の隊員が放射線量を測定する中、被ばく覚悟の任務遂行だった。
危険な任務をくぐり抜けたハイパーレスキュー隊の一部は19日夜に帰郷。都内の東京消防庁内で記者会見に臨んだ冨岡さんは「非常に難しい危険な任務。
国民の期待をある程度達成できて、充実感でほっとしている」と振り返った後、「訓練とは違うが、このメンバーなら何とかクリアできると確信した。一番大変だったのは隊員。残された家族には申し訳ない。この場でおわびとお礼を申し上げたい」とおえつをこらえながら語った。
アシスト青森は、今のニュースを、簡単に、写真、アニメをふんだんに使って、お知らせしております。
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青森市中央2丁目16-8
アシスト青森(セキュリティハウス青森)
代表 山内 巨
TEL017-776-6551
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